灰崎の自由空間

アラサー陰キャ・ぼっち・非リア・コミュ障の男が趣味で文章を書いてます。

ネットの知人との関わりについて

この3連休はそれなりに良い気分転換になったと思う。少し早めに起きて、運動・読書等のインプット、ブログを書く等のアウトプットに時間を使うことができた。このような朝活は、今後いろいろ試しつつ習慣化していきたい。このように比較的満足度の高い日々を過ごしていたものの、少し不快な記憶がふとした瞬間に頭に浮かぶことがあった。これは昨年からもずっと続いている状態なので、記事に吐き出して処理しておきたいと思う。(今回の記事はかなり自分勝手な内容ですので、不快に感じる方はブラウザバックをお願い致します)

 

長年付き合いがあったネットの知人1名と、昨年縁を切った(ここではB氏と呼ぶことにする)。B氏と知り合ったのは僕が学生の頃。当時の僕は、周囲の「普通の人達」との様々な面での差異に苦しんでいた。そんな時に、SNS上でB氏と出会った。B氏は境遇が僕と少し似ていたためか、会話をしていて心地が良かった。B氏が起点となり、少しずつネット上での知り合いが増えていった。リアルで友達がいない自分にとって、B氏を中心としたコミュニティは唯一の居場所となった。ただ、ここでできた知人達とは一度も顔を合わせたことが無かった。彼らにはそれなりにリアルで友達が居るらしく、僕らのつながりはあくまでもネット上で完結していた。そんな関係が数年続いた。

改めて考えてみると、この数年の間にB氏に違和感を覚えたタイミングが何度かあったように思う。B氏のお願いを(仕事が終わった後の貴重な時間を使って)聞いてあげたのに、お礼の言葉が無かったこと。例の疫病の感染者数が全国的に増加していた時期に、友人達と旅行に行っていたこと。B氏主催のイベントで何度か自分だけ誘いがこなかったこと。この辺りから既に、お互いに関係を続けるのが難しい状態になっていたのかもしれない。

昨年のある日、僕は仕事のストレスで押し潰されそうになっていた。SNS上にも少し思いを吐き出したが、それだけではどうにもならず、誰かと話がしたいと考えていた。愚痴を吐きたいわけではなく、ただ人と話がしたいという考えだった。ちょうどその時にB氏と他の知人がグループ通話をしていたので、僕も混ぜてもらうことにした。入室してすぐに、SNSでの僕の投稿を見た人からは「何か荒ぶってますね」と茶化すような言葉を投げかけられた。僕は仕事でストレスを抱えていることを伝えたが、そのことについて心配したり励ましたりするような言葉は一切掛けてもらえなかった。そしてなぜか、僕の交友関係に関する話題になった。B氏は僕に対し「学生時代の知り合いとは会ってないのか?」、「職場の人たちとは遊んでいないのか?」、「本当に友達0人なのか?」と、僕がストレスで苦しんでいる状況など何も考えずに聞いてきた。僕はあまり頭が働いておらず、不愉快な気分を抑えながらも何とか言葉を返した。それからしばらくしてB氏は「誰も言わないからあえて厳しいことを言ってあげるんですけど、友達が欲しいなら自分から行動しないと何も変わりませんよ?」と僕に言い放った。僕は完全に頭が真っ白になった。僕が仕事でストレスを抱えて苦しんでいることを知りながら、今はどうでもいいような事柄についてB氏は説教を始めたのだ。しかも恩着せがましく、「自分は親切で言ってやってるんだ」というスタンスで。B氏の話はしばらく続いた(「学生時代の知人に連絡できないのか?」、「職場の人達を誘えないのか?」、「やるかどうかはあなた次第ですよ」等、汚物のような言葉を次々に投げかけてくる)。僕は適当に言葉を返した。そして話題が切り替わってからはしばらく黙っていた。すると最後にB氏は「黙ってるなら、通話を切ってYouTubeでも見たらどうですか?」と僕に言った。僕は何も言わずに通話を切った。それから半年程、B氏が絡んでいるコミュニティから距離を置いた。その間僕はずっとあることについて頭の中で何度も考えた。「B氏はもしかしたら、あえて厳しいことも言ってくれるような、本当に優しい人なのではないか」と。残念ながら半年考えても答えは「NO」だった。B氏のあの日の発言は、例えるなら「大怪我をして倒れている人に対して、怪我の手当てや救急車の手配もせず、挨拶の大切さを延々と説く」というような違和感があった。僕はB氏との関係を断つことを決めた。きっと今後も僕の状況など考慮せずに汚物のような言葉をぶつけてくるのだろうし、これ以上関係を続けてもマイナスでしかないからだ。B氏を非難するつもりは無い。僕と考え方が合わなかっただけだ。「ピーマンは味が好みじゃないから食べないけど、ピーマンそのものは否定しない」みたいなイメージだ(ちょっと分かりづらいか……)。「あえて厳しい事を言ってくれるのが本当の友達だ」という風潮があるが、この「あえて厳しいことを言う」というのはかなり難しいと思う。少なくとも、相手の現状を理解しようともしない人間には絶対に無理だ。相当な自信がない限り、関係を悪化させるだけなのでやめた方が無難だろう。

B氏と縁を切るきっかけとなった日のことが、今でも定期的に頭に浮かんでくる。その度に僕は、その日の出来事、自分が感じた事、その後の自分の判断について、誰かに説明するかのように頭の中で言葉を組み立てる。今回はその言葉を記事に落とし込んだ。膿は出し切ったつもりだ。

 

 

最後に少しだけ。B氏に対しては(嫌味ではなく)感謝をしています。辛い時期に居場所を作って頂き、こんな僕でも数年間、人との関わりを楽しむことができました。繰り返しになりますが、B氏を非難するつもりはありません。様々な面で考え方が合わず、自分の心の平和を保つことが難しいと判断したため、このような結果となりました。リアルで僕に居場所があれば、また違った結果になっていたかもしれません。もう二度と関わることはないと思いますが、B氏の幸せを願っております。