灰崎の自由空間

アラサー陰キャ・ぼっち・非リア・コミュ障の男が趣味で文章を書いてます。

何もかも奪われる日々

ここ最近色々なことが起きていて、あまり心が落ち着かない。少し文章として吐き出しておこうと思う。先日医者から正式に脱毛症と診断された。現在は処方された飲み薬と塗り薬を使用しながら様子を見ている。毛が抜けた理由は不明。そもそもこの脱毛症が医学的に原因が解明されていない病気らしい。ストレスも原因の1つかもしれないと医者は言っていた。だけど、思い当たるストレスが思い浮かばない。仕事のストレスなんて入社当初から感じている。それが今更頭の毛に影響として現れるだろうか。それに毛が抜けたことに気がついたのは2週間ほど前だ。ここ数ヶ月はそれほど強いストレスは感じていないので、ストレスが原因というのは考えづらい。あと考えられるとしたら、食事とか、最近変えた日用品とかだろうか。それも考えづらい。後1つ考えられる原因があるけど、かなりデリケートなものなのでここでは挙げないことにする。脱毛症と向き合い始めてから1週間後、今度は祖父の調子が悪いとの連絡が舞い込んできた。もう数年前からほとんど施設で生活しており、最近は食事も取れなくなってしまった。近々、所謂ターミナルケアに移行することになるらしい。別の言葉で表現するなら、「安らかに逝けるように準備をする」ということだ。これは家族に対してのメッセージでもある。僕は急いで近くの洋服屋へ喪服を買いに行った(喪服が最低でも3万もするということを初めて知った)。店員には「近々必要になりそうなので買いに来た」ということをやんわりと伝えた。そして合わせて「裾上げ等はできるだけ早めにお願いできないか」と聞いてみた。店員からは「いつまでに必要ですか?」と淡白な言葉が返ってきた(事情を伝えているんだから、最速でいつ渡せるかを確認するなど、もう少し察して動いてくれてもいいではないか)。とりあえず数日後には受け取れるように調整してもらえたので一安心。もしもの時に必要なものは準備できそうだが、心の準備はどうだろう。祖父にとって僕は良い孫だったのだろうか。ひ孫の顔どころか結婚相手の顔も見せることができなかった。せめて残された時間で、できるだけ話ができればいいのだが。

微妙な状態

仕事中、14時頃から急に気分が悪くなってしまった。暖房をかけすぎたからなのか、昼食が自分の身体に合わなかったからなのか。中抜けして軽く仮眠をとった上で直後の会議をなんとか乗り切り、仕事は早めに切り上げた(と言っても、定時に帰ったというだけだが)。こういう原因不明の体調不良になることが年に数回はある。だが一晩眠れば回復する。「またこの体調不良ですか。お疲れさまです」と出迎えて、粛々と対処する。ただそれだけだ。

一方、心の状態はどうだろうか。何と言うべきなのか、今の状態を適切に表す言葉がパッと浮かんでこない。良い状態でもなければ、ものすごく悪い状態でもない。50%を少しだけ下回っている状態と言うべきか。仕事は山ほどあり、上司に対して不信感を抱くこともたびたびある。でもこれは今に始まったことではない。もう1年くらい前からこんな状態なのだ。もうこれがデフォルトになってしまったので、自分の状態について正しく評価ができない。僕にできることは、目の前のタスクをひたすらこなし、上司に腹が立ったら後輩と愚痴を言い合って吐き出すことくらいだ。プライベートの方はどうだろう。社会人になってからの数年、僕は何か前に進んでいるんだろうか。仕事について分かること/できることは少しずつ増えている。貰えるお金も少しずつ増えていて、欲しいものはあまり躊躇せず買えるようになった。だが、結局それだけなのだ。プライベートのことは何ひとつ前に進んでいない。周りの人間はパートナーを見つけ、子孫を残している。生物としてなんと優秀なことだろう。人生に対する焦りが日に日に強くなっていく。こういうような状況で、B氏に投げかけられた汚物のような言葉が頭に不意に浮かんでくる。僕は無意識に部屋の中で大声を出し、B氏の亡霊を八つ裂きにする。こんな状態がいつまで続くのだろうか。

ネットの知人との関わりについて

この3連休はそれなりに良い気分転換になったと思う。少し早めに起きて、運動・読書等のインプット、ブログを書く等のアウトプットに時間を使うことができた。このような朝活は、今後いろいろ試しつつ習慣化していきたい。このように比較的満足度の高い日々を過ごしていたものの、少し不快な記憶がふとした瞬間に頭に浮かぶことがあった。これは昨年からもずっと続いている状態なので、記事に吐き出して処理しておきたいと思う。(今回の記事はかなり自分勝手な内容ですので、不快に感じる方はブラウザバックをお願い致します)

 

長年付き合いがあったネットの知人1名と、昨年縁を切った(ここではB氏と呼ぶことにする)。B氏と知り合ったのは僕が学生の頃。当時の僕は、周囲の「普通の人達」との様々な面での差異に苦しんでいた。そんな時に、SNS上でB氏と出会った。B氏は境遇が僕と少し似ていたためか、会話をしていて心地が良かった。B氏が起点となり、少しずつネット上での知り合いが増えていった。リアルで友達がいない自分にとって、B氏を中心としたコミュニティは唯一の居場所となった。ただ、ここでできた知人達とは一度も顔を合わせたことが無かった。彼らにはそれなりにリアルで友達が居るらしく、僕らのつながりはあくまでもネット上で完結していた。そんな関係が数年続いた。

改めて考えてみると、この数年の間にB氏に違和感を覚えたタイミングが何度かあったように思う。B氏のお願いを(仕事が終わった後の貴重な時間を使って)聞いてあげたのに、お礼の言葉が無かったこと。例の疫病の感染者数が全国的に増加していた時期に、友人達と旅行に行っていたこと。B氏主催のイベントで何度か自分だけ誘いがこなかったこと。この辺りから既に、お互いに関係を続けるのが難しい状態になっていたのかもしれない。

昨年のある日、僕は仕事のストレスで押し潰されそうになっていた。SNS上にも少し思いを吐き出したが、それだけではどうにもならず、誰かと話がしたいと考えていた。愚痴を吐きたいわけではなく、ただ人と話がしたいという考えだった。ちょうどその時にB氏と他の知人がグループ通話をしていたので、僕も混ぜてもらうことにした。入室してすぐに、SNSでの僕の投稿を見た人からは「何か荒ぶってますね」と茶化すような言葉を投げかけられた。僕は仕事でストレスを抱えていることを伝えたが、そのことについて心配したり励ましたりするような言葉は一切掛けてもらえなかった。そしてなぜか、僕の交友関係に関する話題になった。B氏は僕に対し「学生時代の知り合いとは会ってないのか?」、「職場の人たちとは遊んでいないのか?」、「本当に友達0人なのか?」と、僕がストレスで苦しんでいる状況など何も考えずに聞いてきた。僕はあまり頭が働いておらず、不愉快な気分を抑えながらも何とか言葉を返した。それからしばらくしてB氏は「誰も言わないからあえて厳しいことを言ってあげるんですけど、友達が欲しいなら自分から行動しないと何も変わりませんよ?」と僕に言い放った。僕は完全に頭が真っ白になった。僕が仕事でストレスを抱えて苦しんでいることを知りながら、今はどうでもいいような事柄についてB氏は説教を始めたのだ。しかも恩着せがましく、「自分は親切で言ってやってるんだ」というスタンスで。B氏の話はしばらく続いた(「学生時代の知人に連絡できないのか?」、「職場の人達を誘えないのか?」、「やるかどうかはあなた次第ですよ」等、汚物のような言葉を次々に投げかけてくる)。僕は適当に言葉を返した。そして話題が切り替わってからはしばらく黙っていた。すると最後にB氏は「黙ってるなら、通話を切ってYouTubeでも見たらどうですか?」と僕に言った。僕は何も言わずに通話を切った。それから半年程、B氏が絡んでいるコミュニティから距離を置いた。その間僕はずっとあることについて頭の中で何度も考えた。「B氏はもしかしたら、あえて厳しいことも言ってくれるような、本当に優しい人なのではないか」と。残念ながら半年考えても答えは「NO」だった。B氏のあの日の発言は、例えるなら「大怪我をして倒れている人に対して、怪我の手当てや救急車の手配もせず、挨拶の大切さを延々と説く」というような違和感があった。僕はB氏との関係を断つことを決めた。きっと今後も僕の状況など考慮せずに汚物のような言葉をぶつけてくるのだろうし、これ以上関係を続けてもマイナスでしかないからだ。B氏を非難するつもりは無い。僕と考え方が合わなかっただけだ。「ピーマンは味が好みじゃないから食べないけど、ピーマンそのものは否定しない」みたいなイメージだ(ちょっと分かりづらいか……)。「あえて厳しい事を言ってくれるのが本当の友達だ」という風潮があるが、この「あえて厳しいことを言う」というのはかなり難しいと思う。少なくとも、相手の現状を理解しようともしない人間には絶対に無理だ。相当な自信がない限り、関係を悪化させるだけなのでやめた方が無難だろう。

B氏と縁を切るきっかけとなった日のことが、今でも定期的に頭に浮かんでくる。その度に僕は、その日の出来事、自分が感じた事、その後の自分の判断について、誰かに説明するかのように頭の中で言葉を組み立てる。今回はその言葉を記事に落とし込んだ。膿は出し切ったつもりだ。

 

 

最後に少しだけ。B氏に対しては(嫌味ではなく)感謝をしています。辛い時期に居場所を作って頂き、こんな僕でも数年間、人との関わりを楽しむことができました。繰り返しになりますが、B氏を非難するつもりはありません。様々な面で考え方が合わず、自分の心の平和を保つことが難しいと判断したため、このような結果となりました。リアルで僕に居場所があれば、また違った結果になっていたかもしれません。もう二度と関わることはないと思いますが、B氏の幸せを願っております。

ネットに身を置く理由

僕にとってのネットとは、リアルで不足しているものを補うための場所であると考えている。リアルで友達がいないから、SNSのアカウントを作って人と交流する。過疎気味なライブ配信にコメントをしてコミュニケーションを取る。本来であればリアルで摂取すべきものを、僕はこうしてネットで補っている。栄養の足りていない人がサプリメントを飲むようなものだ。このような捉え方をしているので、僕はネットでストレスを抱えるのは馬鹿馬鹿しいと心の底から思っている。ここは僕自身もかなり神経を尖らせているポイントで、ネット上で自分に悪影響を及ぼしている要因はないかと常にチェックしている。不快だと感じるものはNG設定等を駆使して視界に入れないようにする。トータルで考えて自分にとってマイナスとなる人間は早めにブロックする(そもそも最初から余計な関係を作らない)。これくらい徹底的にやらないと、自分の心の安定を保つことはできない。ネットに関する不満や怒りを毎日のようにぶちまけている人が時々いるが、ああいう人達はネットの使い方を見直した方がいいと思う。僕からすれば、彼らは体に悪いサプリメントをわざわざ自分から飲んでいるようなものだ。

ネットで文章を書く理由

今回の年末年始の過ごし方も、例年とほぼ同じだった。年末は少し掃除をしてから1年を振り返る文章を書き、適当なテレビ番組を見ながら新年を迎えた。普段夜更かしはほとんどしないため、毎年1月1日は寝不足で体調不良になる。あまり負荷のかかる作業はせず、孤独のグルメの一挙放送や格付けチェックをダラダラと見て過ごした。1月2日は親戚への挨拶回りと軽いネットショッピングをして1日が終わった。年末年始の過ごし方としては、これらが僕に1番馴染んでいるのだと思う。今日もAmazonで色々と買うものを検討していたらどっと疲れてしまったので、寝転がりながらスマホでぽちぽちと文章を書くことにした。

僕がこうしてネット上で文章を書く理由は主に2つある。1つは自分のストレス発散のため。もう1つは自分と境遇や考え方が似た人を見つけるため。後者はなかなか難しい。僕も経験があるのだけれど、ネット上で自分と似た人を見つけるとそれだけで幸せな気分になる。ただ、そもそも僕の文章にたどり着くのが困難である。世の中には僕と同じようにぼっちだの陰キャだのと自称している人間は数多く存在する。そんな中で、僕のブログやSNSのアカウントが目に止まるだろうか。この辺りから戦略を練っていく必要がありそうだ。もっとTwitter上でつぶやきを増やしたり、ブログに時事ネタや役に立つネタを含めたり。そうでもしないと人の目に止まらない。本当は自分の好きなタイミングに好きな文章だけ書いていたいんだけど、目的達成のためには仕方がない。